2022年2月12日土曜日

【神社巡りNo.17】鶴峯八幡宮及び頼政神社

今回は、茨城県は古河市にございます鶴峯八幡神社及び頼政神社へお参り致しました。

初めに鶴峯八幡神社ですが、古河の市内に近い場所にあります。

初めて伺いましたが、奇麗な境内に奇麗な本殿がございました。

鳥居をくぐりますと、ちょっと長めの参道がありますが、非常に奇麗でした。

清掃を細目にやってるんだろうと想像できます。



本殿ですが、立派で歴史を感じます。


奥に行きますと色々な神社や鳥居がございます。





その他は、スライドショーにしてございますので、お時間ある時にご覧ください。
御朱印貼ります。今までで一番力強い書き方と思いました。しかも、書いてくれた方(恐らく神主様)が、丁寧で凄く対応が良かったです。付近の神社の案内も頂き感謝申し上げます。
歴史については、公式HPにてご確認お願い致します。

 
場所については、国道から近いので行きやすいと思います。

次に、鶴峯八幡宮の案内書にありました、頼政神社へお参り致しました。
この神社は、場所が分かりづらく凄く迷ってしまいました。
場所は、赤点からも行けますし、黒点からも行けます。道が細いので要注意!
神社の入り口は駐車場から遠いのですが、裏山を登っても行けます。
御朱印は、神社入り口横の家になります。
これが、駐車場。
かなり、歴史をビンビン感じます。


夕方で薄暗いと、ちょっと怖いかもしれません(笑
これは、神社好きにはたまらない歴史感です。
御朱印貼ります。シンプルですが、私は好きです。
また、対応が非常に良かったです。マスクも頂きました。
歴史についてです。
 神社としての創建については、江戸時代の延宝5年(1677年)、古河城主の土井利益が城内鎮護の神としたことを起源とする解説がある。しかし、もう一方では、元禄9年(1696年)に、城主の松平(大河内)信輝が城内に大河内氏の遠祖頼政が祀られていることを知り、神社として整備したことを起源とする説もある。このとき、信輝の弟輝貞は、大灯籠を寄進するとともに、居城の高崎城内にも頼政社を勧請した。また、信輝の長男信祝が三河国吉田藩(愛知県豊橋市)へ国替えとなった時、勧請して豊城(とよき)神社を建立した。
当時は城内にあったため、一般庶民は、年に一度の祭礼の日に参拝が許された。
明治になり城が廃された後、大正年間には渡良瀬川の洪水対策を目的として、大規模な河川改修工事が行われ、社殿があった古河城頼政曲輪も、本丸・二の丸等の中心部とともに削平されて、河川敷に変わった。このとき跡地から小規模な古墳が発見されている。当時の頼政曲輪の位置は、現在の渡良瀬川東岸・新三国橋周辺に相当する。
大正元年(1912年)、河川改修工事により、古河城北西端の土塁上に移されて、現在に至っている。移転後は旧古河町の西部八ヶ町(観音寺町・桜町・船渡町・片町・白壁町・仲之町・江戸町・厩町)の鎮守となった。祭礼は5月5日に行われている。かつては頼政自刃の旧5月26日であった。(Wiki)

以上、ご覧いただき感謝申し上げます。




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