2022年3月9日水曜日

【神社巡りNo.27】朝日森天満宮、一瓶塚稲荷神社及び賀茂別雷神社

今回は、栃木県は佐野市にございます、朝日森天満宮及び賀茂別雷神社へお参り致しました。

初めに、朝日森天満宮です。参道にビックリしました。当日、テレビの撮影もしてました。

これは、圧巻です。これで、梅が満開だったら更に奇麗だったと思います。

この入り口も歴史を感じます。

そして、本殿ですが、かなり立派で驚きました。
この、砂利が奇麗にならされているのは中々見ないです。
そして、御朱印です。鷽鳥のお守りも一緒に購入致しました。対応が丁寧を超えるエクセレントレベルでした。


神社の歴史や詳細に関しては、公式HPをご覧ください。

場所ですが、混んでいないときは鳥居前の駐車場が宜しいかと存じます。

続きまして、一瓶塚稲荷神社です。街中にポツンとある神社です。
駐車場が分からなかったので隣のお買い物駐車場をお借りしました。





非常に歴史を感じます。建物にしても絵にしても歴史が深いんだろうと思いました。
公式HPが見当たりませんでしたので、歴史についてふれます。
文治2年(1186)佐野荘司讃岐守成俊公は、唐沢城再興の際に、富士村の稲荷大明神を今の地に遷し祀り、社領の地を寄進し、佐野荘百数十郷の総社として尊崇した。その折各地の人々は瓶に土をいれてこの地に運び塚を築いたので、塚を一瓶塚と呼び社を一瓶塚稲荷神社と称したと云う。爾来武将庶民の信仰厚く、徳川五代将軍綱吉公は、館林尾曳城主の頃、毎月当社へ代参を遣わし崇敬特に深かったと伝えられ、延亨3年(1746)には佐野荘の人々によって、見事な銅製鳥居(文部省認定重要美術品)が奉納されている。又寛政12年(1800)に、日本神祇総官領白川伯資延王より、「佐野総社一瓶塚正一位稲荷神社」の親筆の額を奉献された。当社の境内は社殿の前面が非常に狭かったので、後方に土を盛り一瓶塚を延長して社殿を移し、境内を整備する事が、多年の宿願であった。昭和40年境内模様替奉賛会を結成して、氏子信仰者の御奉賛により、社殿を始め一瓶塚、鳥居、社務所、神庫、その他一切の建物、工作物を移轉、改修或は新設して、境内の模様を一新し、昭和48年この歴史的大事業を達成した。

御朱印は、不在で書置き対応でした。非常にシンプルな御朱印でした。

場所ですが、下図の場所になります。

続きまして、賀茂別雷神社になります。同じ名前の神社が近くにありますが、山の頂上にある神社の方になります。
私がお参りしたのは、こちらになります。
こちらの神社は、歩いても登れますが車でも登れます。そして、本殿が見えてきます。












こちらの神社が山の頂上にあるのですが、本殿横の予備の社務所があり御朱印のご対応をしておりました。凄いですね!通常であれば社務所にいらっしゃると思うのですが、本殿にいらっしゃるというのが凄いです!で、一人一人に、お帰りなさいませと声をかけながら御朱印を書いておりました。この対応は、神です!
こちらが御朱印になります。これは、驚きの御朱印です。
猫好きにはたまらないですね!


また、神社の歴史や詳細に関しては、公式HPをご覧ください。


場所ですが、下図の通りです。

以上となります。ありがとうございました。

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